「やりたいことがない」と堂々と言えない私たち

他人からの視線を気にしすぎる
まつもと
こんにちは!編集・ライターの松本紋芽(@Sta_iM)です

 

急に投げかけてみますが、みなさんは「何かやりたいことや目標ってあるの?」と聞かれた時、なんてこたえますか?

 

正直「今は別にないかも」と思った時でさえ、何かそれっぽいことを言わなきゃいけないような気がしませんか?

 

かくいう私は「やりたいことがない」と思っていても、そのまま「やりたいことがない」なんて言えないんです。

 


投げかけておいて、「言えない派」の人間です。

 


これはなぜなんでしょう。

 

「やりたいこと」や「目標がない」を言えないのはなぜ?

他人の意見を気にしすぎるから

 

ひとつに、「他人の目」を気にしすぎるという原因があります。

 

お笑い芸人のオードリー・若林氏の著書「ナナメの夕暮れ」にこんなことが書かれていました。

 

 ずっと、周りの目を気にしないで自分を貫ける人に憧れてきた。
 それは、一番身近な相方であったり、テレビで出演する明るくて前向きで失敗を引きずらず、頭が良くて劣等感を感じさせない人だったりした。
 なんとか死ぬまでに、そういう人間になりたいと願ってきた。
 だけど、結論から言うとそういう人間になることを諦めた。
 諦めたし、飽きた。

引用:若林正恭「ナナメの夕暮れ」文藝春秋 

 


他人の目を気にしすぎる性格って、やはりかなり治りにくいと思います。

 

彼の別の著書でも、他人からの見られ方が気になるということについて多くのページが割かれています。

 

でも、今回の本でもまた「人の目を気にする」ことを書いている。

 

 

私がなんどもこういう話題を書いて、常に抜け出せないかとブログでもがいているように、彼も何年間ももがき続けているのかもしれません。

 


なかなか抜け出せないのです。

 

彼はこんな考えをしているかわかりませんが、私の場合、もしやりたいことがなかったら、そのまま「やりたいことがない」なんて言うと、相手に「中身がないやつだな」「意識低いな」と思われそうでビクビクしているのです。

 

 

このスタンスから抜け出せたらベストなんですけど、もしかしたら、抜け出そうとせずに、受け入れようとすることの方が建設的なのかもしれません。

 

自分の意見すらわからなくなるから


他人の意見ベースでいると、自分の意見がわからなくなるんですよね。


その「他人」が複数人になると、いくつもの意見に惑わされて踊らされて…「あれ?私って本当は何を大事にしているんだっけ?」と思う。

 

若林氏は、こんな風に言っていました。

 

 他人の正解に置きに行くと、例えばその場に人数が多い時に、どの人の正解に置きに行っていいかわからなくなり、キョロキョロおどおどすることになる。だから、僕は人数の多い飲み会は苦手なのだ。
 キョロキョロおどおどしている人は自分の意見を持って溌剌(はつらつ)としている人に徹底的に無視されて、イライラしているけど強気な人にカモられてスポイルされる。すると、だんだんと大勢の人がいる場を避けるようになる。

引用:若林正恭「ナナメの夕暮れ」文藝春秋 

 

 

他人の意見を聞いて勝手に振り回されているだけなのに、その空気感をストレスに感じてしんどくなって「大人数って面倒だな」と思ってしまう。

 

 


自分の考えが見えないくせに、多くの他人の意見を拾って自爆してます。

 

すごくこれには共感できます。

 


私が大人数が苦手なのも、このせいなのかもしれません。


もう、人の目を気にしないタイプにはシフトできないのか?

 

この本はまだ途中しか読んでいないのですが、ラジオで若林氏が「令和になる前に平成でやっておきたいこととかないの?」「令和になったら叶えたいこととかは?」みたいなことを、相方の春日氏に聞くシーンをふと思い出しました。

 


そこで、食い気味に、全く後ろめたさなく「ないよ!」を春日氏は返すんです。

 

これはお笑い的な切り返しなのかもしれないけれど、その後もひたすら悪ノリで問い詰める若林氏に、春日氏は「なんでその『何かを目指さなくちゃいけない』みたいな感じで聞いてくるの?」と聞くわけです。


これって、彼にとってはとても自然な質問だけれど、他人の目を気にしすぎる人にとってはかなり勇気のある発言だと思うんです。

 

感心はするけど、私はやっぱり言えないことです。


人の目を気にしないで言うことはできないと思います。
人の目を気にしながらも言うことは、できるのかもしれないけれど。

人の目が気になるタイプの「強み」ってあるの?

でも、こんな自分のようなタイプでも、何かいいところがあると信じたいですよね。

 

私も、基本的には自分を追い詰めて自分を否定するような人間なんですけど、それでもやっぱり何かを認めてもらいたいと思っています。


というわけで、私がとても勇気付けられた「新垣才さん」のnoteを紹介します。


タイトルは「断言しよう。ネガティブな人はポジティブな人より幸せになれる。


彼がどういう思考を持っていたのか、まずは引用します。


僕も超がつくほどネガティブだった


ここで自分のことを少し話させてもらうと、僕は大学生のころまで、超がつくほどのネガティブだった。

 

自慢じゃないが、全日本ネガティブ選手権が開催されたら全国大会には軽く出れる自信がある。

 

人がウワサ話をしているのが見えたら全部自分のことを悪く言っているように思えた。

 

人とすれ違う時に目があうと「あ、気持ち悪がられてるんだろうな」と感じた。

 

褒められても「どうせお世辞で裏がある」と信じて疑わなかった。

引用:新垣才・note「断言しよう。ネガティブな人はポジティブな人より幸せになれる。

 


彼は「ネガティブ」というくくりで話しているけれど、そこには「他人の目を気にする」という要素が色濃く含まれていると思います。

だから、これを読めば、他人の目を気にしすぎる人も、少しは自らを肯定的に捉えられるようになるのではないかと思います。

 

 

彼のnoteをちゃんと読んでほしいので、ここではポジティブよりもネガティブな人が幸せになれる理由として挙げられている3つの見出しだけを紹介しておきます。


理由1:ネガティブなポジティブシンカーは
ネガティブな他人の気持ちがわかる

理由2:ネガティブなポジティブシンカーは
リスクを先読みできる

理由3:ネガティブという “隙” は
“好き” に繋がる

引用:新垣才・note「断言しよう。ネガティブな人はポジティブな人より幸せになれる。

 


つまり、私たちのように気にしすぎる人は、

  • 相手の持つ「しんどさ」に、心から寄り添うことができる
  • リスクに気づいて、それに対応できるようになる
  • 100%元気で明るくて充実した人もいいけど、隙があるからこそ人間味や共感性が生まれ、好かれるようになる

ということです。

 


そう考えたら、自分なりの役割がこの世にもあるような気がしませんか。

 

 

私はこのnoteを読んで、自分がよく「補佐」的なポジションになる意味がわかりました。

 

明るくて勢いのあるリーダーの横にいる感じなんですよね、いつも。

 

だから、その人に、こんな風に指摘する。

 

  • 「さっきのMTGで、**さんだけあまり納得できていないような表情だったよ。あとで話す機会また作った方がいいかも」

  • 「この作業、どうやら**さんのあたりでゴタついているみたいだから、2日分くらい遅れる可能性があることを前提として対応できるようにしておいた方が安心じゃない?で、**さんにサポートお願いするとか」


…みたいに。(当たり前なことかもだけど、)勢いで突っ走れると思っている人に、冷静な意見を言う係になっている時はよくあります。

 

 

 

だから、他人の意見を聞きすぎたり、ネガティブなことを考えすぎる人も、実は自分なりの役割をさりげなく果たしていると思いますよ。と、そう私も信じたいですし(笑)。

 

 

まずは新垣さんのnote読んで、できれば若林氏の本もチェックしてみてください。あなたの考えに、良い影響があるんじゃないかと思います。

 

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