ここ数日の気づき。それは「なんも言わないけど、実はがんばってる」っていう状態はもったいない…です。「陰の努力」というやつですね。
これがなぜなのか考えたいと思います。
きっとみなさんも「陰の努力」、自然とやっているはずです。
「陰で努力する」ってなに?
そもそも「陰で努力する」ってなによ!?という部分を明確にしておきましょう。この記事を読むための共通認識です。
本当は努力してるのに、それをひけらかさない状態
なんでも涼しい顔してこなしちゃう人。
その人が誰にも見せていない「必死な姿」こそ、まさに陰で努力しているということです。
日本人って「自分をアピールすることがダサい」とか「言わないことが美徳」「察することの良さ」みたいな考えを持っていたし、未だにそういう風に思っている割合も一定数いるじゃないですか。
だから、そういう価値観を持っている人は、自分が苦しむ様子を見せず「陰の努力」をしているわけです。
「テスト勉強全然やってないや〜」も陰の努力
具体的な例を示すと…
本当は家でめちゃくちゃ勉強しているのに、テスト当日「ぜんぜんやってないんだよね〜」という人の状態…は典型的な「陰の努力」ですね。
プレゼンもこなしてかっこいい上司が、実は家でも資料を読み込み、妻に練習台になってもらってプレゼンの準備を進めていた…というのも陰の努力です。
「陰で努力している」は時代遅れ?
でも、陰で努力しているのって今の時代には「もったいない」案件だと思うんです。
凡人のする「陰の努力」は時代遅れかも
なぜもったいないのかというと、その過程を見せたほうが人は興味を持ってくれるからです。いわゆる「ストーリー性」というやつ。
今の時代に求められている「ストーリー性」を隠すことが「陰の努力」です。だから、時代遅れとも言えます。
特に、平々凡々だと自覚している人が「陰の努力」として行動内容を隠すほど、ますます個性が見えにくくなります。個性が明確に打ち出されている人ならいいですけど、自分のことを平凡だと思っている人は、過程を見せることが自分を輝かせるきっかけになるはず。
現代で「陰の努力」が通用する人は、フォローしてくれる人が多い人
では、「陰の努力」はもう通用しないのかというと、そうでもないと思います。ただ、限られた人しか通用しないと言えそうです。
Aさんのまわりに多くの人がいる。その人たちがAさんの行動に興味を持って注目してくれている。
というような、いわゆる人徳があるタイプや、インフルエンサー的な人は「陰の努力ですらしっかり見て、それを他人にアピールしてくれる人」が常に自分のまわりにいるわけです。
そうすると、「陰の努力」が実ったときに、周りの人たちが「実は**さんは、他の社員が帰った後、いつもひとりで黙々と努力されていたんですよ」と言ってくれるかもしれない。
そういう環境が整っていれば、陰の努力も報われる可能性があります。
まとめ:努力の過程を見せていこう
というわけで、凡人は努力の過程を見せてコンテンツにしていこう。
これだけが言えれば満足です。
陰で努力しているの、もったいないです。
それに、単純に
- 「テスト勉強やってない」って言いながらめちゃくちゃ点数よかった人
- 「しんどいけど準備はした!よしやるぞ」って言っている人
だったら、2のほうが「応援したい!」って思えますよね。だから、今の時代、凡人は努力を隠さずにするのがいいと思うのです。
自分の見せ方は検討する必要があるけれど、今チャレンジしていることを…小出しでもいいから試しに発信してみてください、意外とそういう「泥臭い側面を見せたツイート」のほうが「いいね」数が多くなるかもしれませんよ。
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