都会育ちのお金持ちが見た「田舎者と貧乏人」の姿は真実か

田舎人の実情
まつもと
こんにちは!編集・ライターの松本紋芽(@Sta_iM)です

 

先日、こんな記事を発見しました。

田舎者と貧乏人を初めて見た話

 

内容を簡単にいうと…

東京生まれで親に医者を持つ女性が、地方の医学部に進学した時に初めて「お金がないから安いところで遊ぼう」という感覚に衝撃を受けたり、伊勢丹でコスメやブランドバッグを買っていた生活から「カラオケ」と「居酒屋」と恋愛くらいしか娯楽がない世界に絶望したりするお話です。

 

実際彼女が見た、「田舎者」で「貧乏人」の姿は本当なのかどうか。両方の条件を兼ね備えている?いた?私がひとつひとつ見ていきます。

 

  • これから上京したい人
  • 親に「上京は意味ない」と反対されている人

などは特に読んでみてほしいです。

 

逆の立場から見て、彼女の感じた「田舎」と「貧乏」は本当か

「お金がある他人を羨む」は本当

先ほど紹介した記事(ブログ)にはこんなことが書かれていました。

 

⬇︎「親が医者かどうか」ということを大学の同級生に聞かれて「そうだよ」と答えたあとの話です。

「医者かー。いいなぁ、金持ちで。」

非常に面食らった。

まず今までの人生で親の所得の話になったことが一切なかったことに気がついた。

なんとなくタブーのような、下品なような、お金の話をするという文化が存在しなかったし、他人を「金持ちだから羨む」という人に初めて出会った。

引用:田舎者と貧乏人を初めて見た話

 

私としては「金持ちだから羨む」というのは逆に当たり前の感覚だったのでびっくりしました。

方針として「お金を使うことを簡単に考えないようにする」というのがおそらくあったからだと思うんですけど、親はよく「うちはお金がないから」と言っていました。

 

贅沢したいなら自分で稼ぐようになってからね、と。

 

 

そして、私は地元を出てより強く「視野が狭い」「心が狭い」というイメージを田舎に対して感じるようになりました。もちろん田舎が全てそうだというわけではないけれど、私の地元では、他人の噂話とか、他人を何かにつけてディスる傾向があったんです。

 

 

だから、車を買えば「いいね〜お金があって。うちは無理よ〜」とか「そんなこと言っても**ちゃんを私立に通わせてるんだもの、立派よ〜」とか、いちいちお金にかこつけた世間話が多かったんですね。

そして陰では「**さん、わざわざ東京の美容室に髪切りに行ってるんだってよ?」と”どうでもいい、他人の日常生活”に首をつっこんで「金持ち的な要素」にストレスをぶつけているんです。

 

だから、彼女が見た「お金」に関する衝撃は、共感はできないけれどなんとなく想像はできます。これは本当によく起こることだと思います。

遊ぶ内容は「予算」を決めてからなんて、当たり前

どこかに遊びに行こう!となった時に

「お金がないから予算の安い店で」

と言われたことだ。

「お金がない」という理由を遊ぶ時に持ち出すという文化に触れてこなかったように思う。

遊ぶ時にかかるお金は、その思い出に対して支払うものであり、いくらになろうと楽しければ構わないし、やりたいことをしてきたと思う。(というと高級ホテルでランチビュッフェに行きまくっていたかのような印象だがそういう意味ではない。)

遊びたい時に、「何をしたいか」ではなく「予算」が先に来る文化。

そんな文化があることも知らなかった。

引用:田舎者と貧乏人を初めて見た話

 

これも私は田舎者で貧乏人の発言にすごく共感できますね(笑)。

 

未だに「今週はカツカツだから安めのところだと嬉しい!」とか言っちゃいます。「いくらになろうと楽しければ構わない」という発想が逆にありません。

 

正直、これは田舎者じゃなくても言う言葉なのではないかと思います。でも、田舎の人の方が「お金」に関してすぐ話題にするかもしれません。

 

東京ではあまり「お金ない」とか言う友達はいないかもしれないです。話題にしないですね。でも地元の人はすぐ「お金ないよ〜」とか言うかもしれない。

やはり親とかが日常的にお金のことを話しているからなのでしょうか。

 

とにかく予算ありきの「遊びのスケジュール」は、田舎者で貧乏人はマストだと言えます。

「完全に井の中の蛙状態」は、悲しいことに、ガチ

田舎者は、田舎の中でしか生きていないので、その中での「トップ」が、世の中のトップだと思って生きています。

 

そして、中途半端な実力と、気高いプライドを持ってしまうのです。(昔の私がこれでした)

でも、地元の子は違うのだ。

小さい頃からずっと「頭いいね!」「すごいね!」と言われ続けて、ピノキオみたいに鼻が伸びて育ってきている子ばかりなのだ。

何か言えば尊敬され、常にリーダー格として君臨してきた人たちばかりなのだ。

でも私は知っている。

たかだか地方の医学部に、賢い人間なんていないのだ。本当に賢い人は、理三だの、ハーバードだの、そういうところにいるのであり、

医者になるとか、ならないとか、そんな次元のところにはいない。

引用:田舎者と貧乏人を初めて見た話

 

大きくなるにつれて、他の世界に触れ機会が増える。

 

そうすると、「あれ?私って全然普通のレベルじゃん。むしろ、中の下って感じ」とようやく実感します。話のスピードも早くてついていけない。なんだか聞いたことないカタカナばかりで何言っているのかわからない。

 

今田舎に住んでいる人は「本当かよw」と笑っているかもしれないけれど、今あなたたちが過ごしている時間の流れと、東京で過ごす時間の流れは結構違います。スピーディーに感じるはずです。

 

だから、今はわからないかもしれないけど、この「井の中の蛙」感は、間違いないです。

 

「田舎は、他人の行動をいちいち見ている」も本当

これは私が田舎を嫌っている理由の大きな要素なのですが「いつも誰かに見られている」という感覚。これは彼女が話す通り、本当です。

田舎は苦しい。常に誰かに見られている気がする。

学生で外車に乗るなんてと言われたことがある。

引用:田舎者と貧乏人を初めて見た話

 

そして、人が少ない街だと、歩いている人とかは必然的に目立ってしまうし、田舎は本当に「噂話」みたいなものしかネタがないから、人の一挙一動さえいちいち話題になってしまいます。

「昨日、コンビニにいたね」

いちゃダメなんだろうか。どこで何してもいいでしょう。万引きしてるわけじゃないんだから。

東京は、何をしてもいい。

何をしても、誰も何も言わない。

近くに住んでいても、知り合いに会うこともない。

早く卒業したい。

早く東京に帰りたい。

引用:田舎者と貧乏人を初めて見た話

 

私の地元では

  • さっき**さんの家に知らない車が入っていったから、@@ちゃんが彼氏連れてきたのかも
  • 最近**さん家の洗濯物が干されていない。もしかして入院した?
  • 今日は**さん家、にぎやかだね。@@ちゃんが子供連れて帰ってきたのかな

みたいな発言、よく聞きます。

 

 

まじで、自分の家の塀から私の実家の方をこっそり見ている人とかいますからね。久々に私が帰省したのを見ているんでしょうね。

 

しかもその「こっそり見ている姿」って結構バレてしまうから、私はわざとその人の方をガン見してしまいます。そうすると慌てて家の中に入るんですよね。

 

全てを見られている感じ、この女性が言っていることよくわかります。

 

 

みんなそれぞれ自由な行動してもいい、どんな格好しても誰も何も言わない。多様性を認めているのか、無関心が当たり前になっているのかはわかりませんが、東京は自由です。

 

そんな世界で生きてきたなら、余計に違和感をおぼえるでしょうね。

 

まとめ:田舎者で貧乏人の雑草魂は良いけれど、卑屈さがネック

というわけで、ひとつの記事をもとに、田舎のリアルを見ていきました。

 

上京したいと思っていた人が「え?今の私の日常ってもしかしたら”普通”じゃないのかも」と気づくきっかけになったらうれしいです。

そして「上京が意味ない」と断固反対されている人も「上京するからこそ見える世界があるし、離れるからこそわかる”地元”の姿もある」という主張ができるかもしれません。そうなったらこれまたうれしいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です