ドラマでしか見たことのないような世界だった。
Twitterで流れてきた、noteの内容が強烈だ。
😭
⬇︎
「母は、弟の授業だけ見て、私の教室にはこないかもしれない。」心の底から、怖かった。
「母は私よりも弟がカワイイ」
散々おもいしらされ、なんども見せつけられ、疑いようがなかったそれに、確かな「証拠」が生まれることが、この期に及んで、怖かったのだ。 https://t.co/VzzZS2Io2Z— 松本紋芽(編集&ライター) (@Sta_iM) January 23, 2019
単純に「弟はかわいがられ、自分はいらないほうの子供だった」というエピソードを話し、親をディスるような話ではない。
とても重く、つらく、でも目が離せない。
本人が終盤に述べているように、本当に、簡単に「親が悪い」とは、片づけられない。
自分が大人になってみると、親は「絶対的な大人」ではないことに少しずつ気づくものだ。
私も、親を尊敬をしながらも、一方で「社会的な視点から見た、私の母とは」というものを、最近は考えてみたりする。
母が社会的弱者であったり、ストレスをどうにもぶつけられない状況に追い込まれている人であったりするのは、全く珍しいことではない。
母は母で、恐らくこれまで「親だから」という理由だけで、簡単に
- 子供を大切に扱うのが普通
- 子供を攻撃する=ダメ親
- 「子供が嫌いになる瞬間」なんて許されない
といった意識を押し付けられてきたはずだ。
上記のようなことをした時点で、ダメ親認定。
周囲の環境や、彼女自身の生い立ちなどを考えて、原因や改善の方向を真剣に考える人など、ほとんどいないはずだ。それが夫であっても、いや、夫であるからこそ、客観的な分析がもはやできないのかもしれない。
だから、母は孤立しかねない。
苦しくて、寂しくて、つらいけど、どうしようもないから。
そんなときに、娘という存在が攻撃の対象になることは、十分あり得る。むしろ、(言い方がとても攻撃的だが)至極当然ともいえるかもしれない。
母親という存在は、子供にとっては「すべてを判断するものさし」だと思う。
母が好きなものは好きになるし、母が嫌いな人のことは「嫌なやつ」に見える。
そこから解き放たれるのは、どうしても子供のうちは無理だ。
この筆者は、中学卒業⇒進学のタイミングだったようだが、これもだいぶ早い方かもしれない。
社会人になっても、いつまでも母親のものさしで生きていて、呪縛から抜け出せない人はたくさんいる。
もちろん、全ての母が娘を縛り付けるわけではないけれど、大なり小なり、多くの「子供」である立場の人たちは
親からの言葉や行動にがっかりし、傷ついた経験はある。
自分が親になった時のことは、全く想像がつかないから「子供目線」でしかまだ味わえない。
でも、親の立場の人は、また違った感じ方をすると同時に、どこかでチクっと心がいたむ瞬間があるのではないかと思う。
子育て中の方は特に心が揺さぶられる記事だと思う…つらい。
育児には心の余裕や周りの協力が必要。私も無理しすぎないようにしていきたいです。
/母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀 @waka_takinami https://t.co/0s19e2awqj— 佐藤 茜 (@AkaneSato) January 23, 2019
【最終章 加筆しました】
たくさんのご感想ありがとうございます。
私の母がとんでもないサイコパスだったという解釈の方が多いので、そうではなくて、どんな人間も自分に同情してしまうと、簡単に弱者に残酷になれるのだ、という主題を追記してます。https://t.co/Ig0wUmf4ik
— 瀧波和賀@cakes育児コラム連載中! (@waka_takinami) January 23, 2019
強烈に共感した。
うちの母も、弟を溺愛し、姉である私には八つ当たりをするタイプの人だったので、途中から共感のあまり悔し涙が出てしまった。
また、毒親だけでなく、弱者がより弱い者を虐げるという搾取構造の本質も指摘している。
“悪い人”は大抵、”辛い人”なんだよね。
https://t.co/MvH8Tyk3wk— Eva (@evahpfbgk) January 23, 2019
コメントを残す