人が死んでも「現実」を見られない。そして、自分がいつ死ぬのかが怖い

アバンティーズ・エイジ氏についてのブログのサムネ

 

実はこれといって「死」を目の当たりにしたことがなかった。

ないに越したことはないんだけれど、身近な人でいうと、祖父が5年前くらいに老衰で亡くなった。この一回しか、「死」をリアルに目の前にしたことはないはず。

 

とはいえ祖父は年齢的に「死」が不自然じゃないから、「とうとう来たんだな」という気持ちで、ある程度受け入れることができた。

 

 

でも、肉親でもなんでもないのに、どうしてもまだまだ受け入れられない「死」に初めて直面した。

実感がわかない死:YouTuber、アバンティーズ・エイジ

ここ1週間ちょいぐらい、ずっとふわふわしていて、全く実感がないのがエイジ氏の訃報だ。

 

 

彼は登録者数110万人と越える、4人組YouTuber「アバンティーズ」のメンバー。

 

彼の魅力は

など、あげたら本当にキリがないくらい。

 

 

 

訃報が1月4日の10時に流れて来た日は、仕事だった。

一日中、全てがふわふわとしていて集中できなかった。

 

 

今は、彼に関するニュースやツイートをあまり見られないし、ずっと彼らが楽しんでいる動画を見ては「現実逃避」している。

 

アホだと思う人もいるだろうけど、エイジ氏が奇天烈な行動をして爆笑を誘ってきたような動画を見ながら爆笑し、笑いがいつの間にか号泣に変わっている時もある。

ほんと、アホくさっ!って思う人だらけでしょう。

でも、リアルにそんな日々を送っている。

 

 

 

エイジ氏のことで、メンバーは一旦全ての活動を休止している。動画はもちろん何も上がっていない。

だけど、リーダーのそらちぃ氏が「前を向けるまで少し時間をください」と話していたので、いつか何かしらのお知らせがあるはず。

 

 

アバンティーズが動画を再開するとしたら、その1発目の動画はどんな感じなのか、どういう気持ちで見ればいいのか…果たしてちゃんと見られる日が来るのかよくわからない。

 

 

毎日見ていた人が急にいなくなるのって、本当に初めて。

祖父の時よりもなんだかリアルな「喪失感」を与えてくる存在だったんだと実感してしまった。

 

自分の死だって、いつ訪れるかわからない

それからずっと、寝る前は

エイジ氏が亡くなるときの苦しみを勝手に想像してしまったり、自分がこのまま寝て朝目覚めない可能性が十分にあることを考えてしまったりする。

 

 

私はもしかしたら、明日事故に巻き込まれるかもしれない。

半年前に受けて「良性」だった乳がんの検査を、今月か来月また病院に行って調べてみたら「悪性になってます」と言われるかもしれない。

 

仕事帰りに急に後ろからナイフを持った人に襲われるかもしれない。

 

 

 

彼が、全く予想外のうちに人生を終わることになったように、私だってそうなる可能性はある。

 

人の「死」はどうやって乗り越えるのか?

この「自分」と「死」を深く結びつけて考えさせられるようになったのは、彼のことがきっかけだ。

だから、不幸なことには変わりないけど、彼が考える機会を与えてくれたのも事実だから、その点だけ見れば「ありがたい」と言えるのかもしれない。

でも、私はまだそこまで「美談」にできるほど整理できていない。

 

 

そもそも彼の死をいつになったら真正面から受け入れられるのかが不明。それと、上の「自分の死を考える」ことは、ベクトルがやはり違う。

 

 

彼のことを知らせるテレビのニュース動画をTwitterでシェアしている人もいる。でも、それはまだ見られない。

このブログで彼の「死」についてここまで書いているのに、完全には受け入れられていないという矛盾が生じている。

 

 

私はまだ彼の死を完全に咀嚼できていない。

そして、「自分」と「死」が密接に関係していることも、まだまだアバウトに捉えている程度だ。

 

 

いつ彼のことを理解できるのか、果たしてできるのかはわからない。

自分にとって「(一方的にでも)身近な人」の死が、自分の心の中でどのように作用して、人生にどんな変化が訪れるのか…未来のことだから何も言えない。

でも、少しでも彼の生き方や彼が楽しませてくれた時間を私の人生に「良い影響」として組み込まれたらと思う。

 

そして、自分がいつ死ぬのかわからないからこそ、人には「好き」「ありがとう」を伝えたい。「後で連絡しよう」はやめたい。今死んだら後悔することしかないとひどく感じている。

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