人は成功することで、「これからもなんとかなる」と思える。
…と思うんです。
面談で「ランク下げた大学に行け」と言われ、逆ギレで大学に合格
高校のとき、いわゆる普通の成績の人、クラスのトップでもなければビリでもない、Aさんがいました。
私の母校では、学内のテストだと上位50名くらいの名前が廊下に張り貼り出されるんです。各教科、総合ともに。
そこに、Aさんの名前が入ってはいる教科もあれば、ない教科もある。普通でした。
でも、いつしか英語ばかりをどんどん極めていくようになりました。それに比例するように、他の教科もメキメキと順位を上げていきます。
のちのち当時の話を振り返ってみると、どうやら三者面談で先生に「志望校は厳しいからランクを下げよう」とサラッと言われたのがムカついたのだそうです。
そこから本気で取り組んだらできるようになったそう。そして、勉強の要領を得たから他の教科もできるようになる。…楽しくなっていったそうです。
努力の甲斐あって、無事、志望校に合格しました。結構誰もが「え?あいつがあの大学行けたの?」と驚いたくらいの快挙です。
Aさんは
あのときギリギリまで本気でがんばれたから、これから窮地に立たされることがあっても、また乗り越えられると思うんだよね
と話していました。
もちろん私にも、成功体験あります。
かわいいとも抱っこしたいとも思えなかった「赤ちゃん」「子ども」
親戚もきょうだいも近所も年上だらけの環境
環境のせいだけではないと思うのですが、どうしても少しは関係していそうなので書きます。
私は昔、しかも大学生に入ったぐらいまで、赤ちゃんや小さい子をあまりかわいいと思いませんでした。
私のまわりは、年上しかいませんでした。
いとこは全員私より年上(2歳上〜12歳上)で、きょうだいは3歳上と6歳上、近所で遊ぶ人は同い年の友達以外だったらきょうだいの同級生。
こういう環境にいたせいか、自分が一番年下で、自分がいつまでも小さい子扱いされていたのです。
実際、ずっと背が小さいので、まじで小学校3年生くらいになっても2つ上の近所の女の子に抱っこされていました。
年下と触れ合う機会がないから、対面してもよくわからないし、抱っこしたいという感情がわかない。
そんな感じで末っ子気質のまま育ち、一度も
と思うことなく、言うことなく育ちました。
でも、友達の弟や、友達の家の近所の赤ちゃんとかと対面した時に、私だけあまり近づこうとしないし、抱っこも「みんながしているから私も一応しておく」ぐらいの感じ。自分で自分にずっと違和感はありました。
あと、赤ちゃんをかわいいものとして扱わなければいけないという重圧もありました。
甥っ子が生まれて一変!「かわいい、ずっと見てたい、抱っこしたい」
確か19歳のとき、私は伯母さんになりました。
きょうだいの子ども。とっても不思議な、はじめての経験でした(当たり前だけど)。
まだ大学生だった私は、週末になるたびに帰省し、里帰りして実家で生活している姉(というか甥)に会っていました。
もう、ただ寝ているのもかわいいし、あくびしてもかわいい。泣いている顔をみてるのに笑顔になれる。はじめて、自発的に「赤ちゃんがかわいい!」って思えました。
これ以降は、さらに甥っ子が生まれてももちろんかわいいと思える。近所のスーパーで、電車のなかで、同じマンションで赤ちゃん、子どもを見てもかわいいと思う。
ほんとうは、抱っこさせてもらいたい。不審者だと思われるから話しかけないけど、それぐらいの気持ち。
「子どもをかわいいと思えない」という不安は、甥っ子のおかげで完璧に克服できました。
今、私があまり好きじゃないものも「大好き」になり得る
このように、全く興味がなかったものでも、ふとしたきっかけで大好きに変わるのです。それは、成功体験によって自信が生まれるだけでなく
- 成功や改善へのルートを通っているから、ゴールまでの道のりがイメージしやすい
という点もポイントだと思います。
だから、なんかわかるんです。またこういう感じで好きになれるんだろうな〜って思える。
当時赤ちゃんをかわいいと思わなかったように、私はほかにも「かわいいと思えない」対象があります。
でも、まだ言う勇気がないのでやめておきます。克服するための企画を考えているので、ブログで進捗をつたえながら克服していこうと思います。
ひとつの成功体験で、他のこともどんどん克服できるんだぞっていう話をこれから立証します。
もうちょっと待っていてほしいです。
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