他人の視線を気にしすぎる。自意識と付き合う方法

 

他人の目や、自分が自分に向ける視線を気にしてしまう人っていると思います。「自意識」が高い人。自意識過剰ともいいますね。

これに悩む人ってすごく多いと思うんです。周りにあまり言えないだけで苦しんでいる。

 

自意識に苦しんでいる人、逃げずに向き合っていって「生きづらい」という気持ちから解放されたい人に向けて、思ったことを書きます。

一歩でも、前に進むきっかけとなれば嬉しいです。

 

自意識が高い性格(自意識過剰)とは?

かんたんに「そもそも自意識とは」というところを一旦頭に入れておきます。

周りの目が気になって緊張してしまう性格

Wikipediaさんに頼ってしまいましたが、「自意識過剰」とは、他人の目を意識して、自分の外見・内面をそうとう気にしてしまう人のことを言うようです。

自意識過剰(じいしきかじょう)とは、自分自身の事柄に関して過剰に意識している人。

自意識過剰とされている者には自分の外見や行動などが他人からどう思われているかなどに、必要以上に注意を払っている傾向がある。人前でスピーチをする時などに他人に良い印象を与えることへの意識のし過ぎによる緊張が、あがり症と言われている

引用:Wikipedia

たいていマイナスなことを考えてしまい、自分に自信が持てない人のことだと思っています。実際に私がそうです。

確かに人前に出て注目されることはとっても苦手です。

自意識が高いと興味がないフリをしてしまう

自意識が高いあるあるとして、いくつかの例をお見せします。

これは私の場合であり、現在は思ってないことも含まれています。

  • 電車の中で視線を感じるだけで「ファンデ、もしかしてヨレてる?」と不安になる、もしくは「キモい顔」だと思われた気がする
  • スマホを覗き込まれている気がするので公共の場では「見られにくい角度」&「明るさ最小」でスマホを使う
  • 街中でひとりでセルフィーを撮るなんて地獄
  • おしゃれなお店にいくと「明らかに浮いている」「キモい」と思われている気がする
  • ディズニーランドに行きたがることがダサい
  • ハロウィンやクリスマスでウェイウェイやっている人を軽蔑する
  • 海外に行くと「アジア人w」とバカにされている気がする

 

 

数年前はこのすべての考えをしていました。

変なプライドやコンプレックスがこびりついているんです。

 

明るくなれない自分がコンプレックスだから、パーティー自体に興味ないフリをして参加者たちをディスらないと、自分を保っていられない。

周りを気にせず、自分のことを「かわいい」と思った瞬間に場所を選ばずシャッターを切れる。楽しい瞬間にカメラを取り出してその場を写真におさめられる。…という精神を持っている。

そういうことが自分にはできないから「セルフィー撮る=自分のことかわいいと思ってるってことじゃん。自意識過剰すぎw」と言っておかないと、これも自分を保っていられない。

 

自分のことをかわいいと思って手も足も出さずにいたのは自分なんですけどね。

 

たぶんその頃は「自意識過剰」という自分を認めたくない、と無意識に思っていたんだと思います。

 

 

しかし数年たち、自意識が他人より強いということを素直に認めはじめます。

そんなときに、出会った人。(リアルに出会ってはいないです)

バリバリの自意識の持ち主:オードリー若林正恭

お笑いコンビ・オードリーの若林氏のことはもちろんテレビで知っていました。

けれど、この「社会人大学 人見知り学部 卒業見込み」という本の中の若林氏に初めて出会ったときは、うれしさと衝撃が一気にやってきたのを覚えています。

まつもと
私が「気にしすぎだろw」の一言で片付けられていたことが書いてある!同じような生きづらさを抱えている人がいるんだ

↑これがうれしさ。

↓これが衝撃です。

スタバが苦手、彼女のプレゼントを買いにいけない

スタバに行くこと自体が恥ずかしい。ぼくは「スタバ」で「キャラメルフラペチーノ」の「グランデ」を飲んでいるところに知り合いが来たら窓を破って逃げる。

「パスタ」と言うのも恥ずかしい。だから「お昼ご飯何食べた?」と聞かれた時に本当はパスタを食べたんだけど、「パスタ」と答えるのが嫌だから「何も食べてない」と答えたことがある。

引用:角川文庫「社会人大学 人見知り学部 卒業見込み」若林正恭

私もなかなか自意識が高い、いわゆる「気にしすぎる」タイプだと思っていたけれど、若林氏はそれをはるかに上回る自意識を持っているように見えました。

 

女性へのプレゼントも自分で買いに行けないから、姉に依頼するか、友達に頼んで「彼女にプレゼントを買いに行く友達に嫌々連れてこられた若林」というテイで店に行っていたほどです。

 

彼の文を読むことで、自分以外の「自意識が高い人」をある程度冷静な気持ちで見ることができました。

 

そこで感じたのは、「自意識の高さにはたくさんのコンプレックスがある」ということ。若林氏の場合は無趣味、音痴、貧乏舌、貧乏、といったコンプレックスがあったために、そういう自分を否定したくないという意識がはたらいて、対極にある世界を批判してしまう。対極に近づいている自分を認めようとしない。

 

まつもと
ということは私は、いくつも抱えるコンプレックスを刺激しないようにあがいているんだな

とようやく気づきました。

自意識の呪縛から逃れるために自己啓発本を読み漁る

本書のこんな一節にひどく共感しました。

 恥ずかしい話だが、ぼくはネガティブで消極的だという自覚が強くあったので思春期からついこのあいだまで「自分を変えたい」「違う自分になりたい」という気持ちが強かった。

引用:角川文庫「社会人大学 人見知り学部 卒業見込み」若林正恭

若林氏は、自らを冷静に分析しているところもあり、同時にその自分を変えたいと思って自己啓発本を読み漁っていました。自己啓発本って、「そんなの読んでんのwwww」とバカにされがち。

でも、自己啓発本に限らず、そもそも「本を読む」という目的にはみんな自己啓発的な意識が潜んでいると考察していました。だから自分には自己啓発本をバカにできない、と。

 

ほかにも、未来の自分の目標のようなものを書いていく「夢日記」というものもやっていたようです。全部決まったことではないけれど、どんどんスケジュールが埋まることで「ウキウキしてくる」ような感覚があるといいます。

そうすると、憂鬱なネガティブ思考からすこし離れることができる。

 

さらに、無趣味コンプレックスから脱しようと絵を描いてみたり、入浴剤を手当たり次第試してみたり…。ついには村上龍の「無趣味のすすめ」なる本まで読んで試行錯誤したようです。

 

とにかく色々なことに手を出した彼が気づいたことがこれです。

人は変われない。「自分」を認めることで自分の扱い方がわかる

 性格とは形状記憶合金のようなもので元々の形は変わらない。それに気づいたことが「自分を変える」本を読んだぼくの収穫だった。

今となっちゃ「ポジティブシンキングになれる方法」も「自信を持って輝ける方法」も全く興味が湧かない。結局、今回の人生でこの形状記憶合金から下りられないんだ。と自分を変えることを諦め、自分の性質を受け入れることにした。

引用:角川文庫「社会人大学 人見知り学部 卒業見込み」若林正恭

自分はどうやっても「根っからの明るい人にはなれない」ということがわかり、その自分を受け入れる。

そうすることで、「ネガティブの受け身」が上手にとれるようになるそう。

ネガティブになりそうなときは「また来たかー」と思う、つまり受け入れる。そうすると、ネガティブに反発しようとしていたときよりも負の感情に飲み込まれなくなったといいます。

むしろ、受け身が上手くなり、負の感情をモチベーションに変えるという作業ができるようになったのだそう。

 

自意識の高さは簡単に変わらない。でも、上手に付き合うことはできるかも

明るい人が急にネガティブになるのも、内向的な人が明日から社交的になるのも難しい。

若林氏のこの気づきは、「自分は自分でいいんだ」というメッセージが裏にあるような気がしました。

 

確かに、明日から、なんでもズバズバ言えちゃう友達のように振舞うこともできないし、逆にいつでも聞き手に回って温かく包む友達みたいにも動けない。うん、確かにそうだ。

 

そもそも自意識の高さを受け入れると、「自意識が高いというコンプレックスの重み」はだいぶ軽くなります。

現に私は、このブログやTwitterを通して自意識の高さをすこしずつ公開することによって、心がだいぶ楽になりました。

 

まだ、「人からどう見られているか」「知り合いにTwitterやブログがバレたら笑われるんだろうな」とかを気にしています。でも、前よりは気にしなくなっているし、気にする自分も自分なのだと思える。

 

少し時間がかかるかもしれないけれど、いつか私もこの気持ちをモチベーションとして製造できるようになるのではないか、とちょっと期待しています。

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