【災害ハイ】東日本大震災のとき、私は友達と毎日爆笑していた

 

数日間、西日本を中心に台風の被害を受けましたね。CCなんじゃないかってくらいの映像に、人間の無力さを感じましたし、自然の恐怖を改めて感じました。

ああいう災害の映像を見たり、被害に遭われた方の映像を見たりすると、東日本大震災のころを思い出します。

「明るいこと話してないとやってられない」

東日本大震災が起きたとき、私は茨城県に住む大学生でした。3階建てのアパートの3階ぶぶんに住んでいた私は、あまりの地震の大きさに「このままアパートが倒れて死ぬ」と思いました。

さすがに倒れはしませんでしたが、近所の家の塀は全てくずれ、道路を歩くのが危険な状態でした。

津波にあった海沿いの地域や、宮城県、福島県の人たちに比べたら些細な災害だったかもしれません。でも、私にとっては味わったことのない大きな揺れ?地響き?と、光景、生活でした。

地震が起きてすぐ、私の家に近所の友達が直接訪ねてきてくれて、被害が少ない友達の家で数日間一緒に住むことになりました。その間は公民館や大学に行って、地元のこと、震源地の方の悲惨な状況をラジオや新聞で把握したり、スーパーに手分けして行って、水やインスタント食品を調達したりしてました。

避難所になっていた大学には、友達もいました。

気仙沼出身の友達は「家族は大丈夫だったけど、地元の友達で何人かね…」と笑っていました。あまりそのことには触れず、「ライフライン繋がってないけど飲もうよ!飲まないとやってられない!」とひたすら笑っていました。地震と関係のないどうでもいい話をしてなぜか笑っていたことだけ覚えています。

「楽しさ」だけを生きがいにしていた

地震が起きてから、おそらく2日間は水道、ガス、電気などがつかえなかったと思います。3日目には、電気だけ復旧しました。

ライフラインがつながらない間、私たちはどんなことをしていたのかというと、意外とよく笑っていました。これはもちろん、震災で不幸なことを経験した人たちからすると、とても不謹慎かもしれません。

でも、日常的な普通の会話をしている人が多かったです。避難所でいちいち「うちは被害がこんな感じで〜」としみじみ話す人はいなかったかもしれません。

避難所にあるバッテリーで、スマホの充電が完了するのを待っている間は、その辺の人たちと雑談をしていました。地震のせいで結婚式が実施できなかったホテルからは、結婚式で提供するはずだったかわいいスイーツが届けられていたので、満面の笑みで友達とかぶりつき「世界一おいしいと感じている表情選手権」みたいなものをしていました。

友達の家に戻って過ごしていたときも、ACのCMがなんどもなんども流れるのがノイローゼになりそうだったので、ACの「ぽぽぽぽ〜ん」のCMが流れるたびに負けじと歌を歌って一緒にぽぽぽぽ〜んをしていました。

 

先生や友達のモノマネを急にしては腹を抱えるほど笑っていた記憶もあります。

 

災害に遭った側は、程度の差はさまざまですが、現実の深刻な状況とはいったん切り離されたような、「ハイ」な状態になる人もいるようです。実体験でわかりました。

だから、なぜか震災はそこまで「辛い」記憶がないんですよね。地震の揺れを感じている最中、ものすごい恐怖でなにかを叫びながらひとりで部屋であたふたしていたのは若干記憶がありますが、何を叫んでいたのかなどは鮮明には覚えていません。

「ハイ」なときの楽しい記憶ばかりで、怖い記憶は脳みそがまだ拒絶しているのかもしれないです。

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