【母親という呪縛】「私とあなたは違う人だ」ということを認識できるには時間がかかった

 

母親という存在は偉大です。たぶん。

私が生まれてから愛情を絶やさず育ててくれました。たぶん。

 

でも社会に出て過ごしていくと、これまで常識だと思っていたことが常識じゃないということに気づきました。

母親に教えられたことは、決して正しいことばかりではない。そして、自分の考えと違っていたら、無理に母親の意見に合わせる必要はないのです。

 

私はそう気づいて、今はその呪縛から逃れようとして生きています。どんな呪縛があるのか、そして、どうやって呪縛から逃れればいいのか、私が実践していることを話します。

母親の呪縛

「ふつう」「常識」という偏見を植えつけられる

常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションである。
ーアインシュタイン

この言葉を初めて見た時に、 すべてが 腑に落ちたような感覚に陥りました。私は田舎出身ということもあり、地域のしきたりや風習を守ることがごく自然のことだと思って生きてきました。家族の中だけで当たり前になっているルールもありますね。

 

私の実家の場合、例えば

  • 食卓や外食先では父親が上座、子供たちが下座に座る
  • 田植えは家族全員で参加
  • 公立高校、国公立大学に進学することが良しとされる
  • 公務員になれた人=成功者
  •  2、3年単位で転職する人=飽きっぽくてダメなやつ
  • 20代後半の人は全員結婚願望が強いと思っている
  • 結婚したら結婚式をあげるのが当たり前
  • 実家の近くに住んでいる子供のほうがえらい

といったように、いくらでも出てきます。

 

上記の中からいくつかエピソードを踏まえて、私がどのようにしてこれらを「常識」だと認識するようになり、違和感を感じるようになったのかを話していきます。

 

食卓や外食先では父親が上座、子供たちが下座にすわる

これはもしかしたら、「良いマナー」と思われることかもしれません。でも、あまり「常識だ」と堅苦しく思う必要がなくなってきているような気がします。

 

親戚で、結婚が決まった人が私の実家にあいさつしに来た時の話をします。

親戚の男性は、結婚相手の女性を連れてきました。その時、母は座敷に座る順番が変だと感じたようでした。

 

親戚が帰ったあと、母親はこのように私に話します。

「さっきさ、 〇〇ちゃん(結婚相手の女性)の方が上座にすわってたでしょう。びっくりしちゃった。何もわかってないんだね」

 

すると私の中では、「上座・下座がわからない人はダメな人だ」と認識します。こういうマナーを身につけていなければいけないと解釈するようになりました。

 

公立高校、国公立大学に進学することがよしとされる

昔から「お金がないから公立高校、大学行くなら国公立だけだからね」と言われていました。

…小さい頃からこういう言葉を浴びせられていると一種の洗脳のようになります。自分でも無意識に国公立を目指するようになっていました。

 

親はおそらく、私立に行かせてあげられないというコンプレックスがあったはず。私立大学に入っている人、とりわけ、私の通っている大学よりも偏差値が低い私立大学に通っている人のことを少し馬鹿にしているようにも見えました。

 

その頃から私は、親のそういった発言に嫌気がさすようになり、話を半分聞くぐらいで適当に合わせるようになりました。

なんか、ちっちゃいことにいちいち悪口言うのってすごく嫌です。

 

公務員になれた人=成功者

田舎は、公務員に対しての尊敬の念が強いです。先生、警察官、市役所職員になった人はそれだけで「大したもんだ」と褒められます。

 

特に私のきょうだいは、私以外全員公務員なので余計に親に比べられたように感じます。

  • 公務員になったらお姉ちゃんみたいに子供が熱出しても「早く帰りな」ってすぐ言ってもらえるんだよ。
  • 公務員だったら、時間通りに帰れるよ。
  • 公務員はボーナスもちゃんともらえるよ。
  • 公務員になったら、お姉ちゃんみたいに、結婚してからもずっと働けるよ。
  • 公務員だったら、お姉ちゃんみたいに何人子供を産んでも堂々と休みとれるよ。

と散々言われてきました。

でも私は、公務員の仕事の中でやりたいことが見つかりません。だから、なる必要がない。志す必要がないです。

 

しかも、母親が言っている「公務員になることで得られるメリット」って、本当に「公務員」になることでした得られないのか?そのメリットってほんとうに良いことなのか?という疑問がありました。

 

それでも、大学3年生の頃になると

母親が私に公務員を進めることが頻繁になってきます。「公務員はすごい」「公務員は働きやすい」「あなたのためを思って言っている」と言われます。

でも、なりたくない。だって私は編集者になりたかったんだ。そして、公務員になるよりもいい環境で、自由に働ける選択肢がぜったいにあるはずだ。

 

当時、そこまで強い気持ちを伝えることができなくて、結局私は公務員試験を受けるだけ受けました。「受けるだけ受けた」ので、事前の勉強は何もしていません。受からなくていいと思っていたからです。

 

今も、帰省すると「ほんとは公務員になってほしいんだけどなぁ」「まだ年齢的に受けられるよ?」と言われることがあります。まだ、今の仕事への完全な理解はありません。昔ほど強くは言われなくなりましたが。

 

母という呪縛からの逃れ方

育ててくれた恩は返す。でも距離は一定に

これまで育ててくれたことの恩は感じています。だから、記念日にかこつけて感謝の気持ちを表したり、帰省する時にちょっとした贈り物を買ったりして、生きている間あと何回会えるかわからない親に恩返しをしているつもりです。

 

でもやはり、私と母は違う人間です。よしとするもの、悪いと感じるものは違うし、青春を全うして、あくせく働いた時代も違います。

だからあまり「親だから」というまるで絶対的に聞こえるような理由だけで、物事を判断して、自分の人生を狭めるようなことはしたくない。

 

まるで姉妹のように「仲良しこよしな親子」もすてきかもしれません。

でも無理になる必要はないと思います。そういう関係性にいる娘が「親孝行」だと考えるべきではありません。

 

自分の人生は自分で楽しくして、親に理解はされなくとも、「楽しそうで輝いている」姿を見せられればいいんです。

親の主張に負けて後悔することがないように、 自分の人生を切り開いていく人が増えればと思います。

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